リノベーションからまちを考える


 
塚田さんの旦那さんで元同僚であり友人の安斎くん(長い)の依頼で、ナガラボ の原稿を書くことになりました。ナガラボとは、長野市内の「人」を切り口に、さまざまな長野のシーンを切り取りとお伝えするウェブマガジンです。本当にいろいろな人が紹介されていて、仕事上で下調べをしていると、このサイトにしばしば当たります。とっても便利。長野に移住やUターンを考える人にとっては、きっとまちを立体的に見せてくれる、そんな役割を担っているのではないかと思います。
 
わたしが執筆することになったのは、「リノベーション特集」。
ウェブ版と、冊子版でお届けするのですが、まずはウェブ版ナガラボ リノベ特集が公開となりました。
リノベといえば、MYROOMの倉石さんです。倉石さんはカネマツに入居してからのおつきあいだから知っていることもたくさんありますが、改めてお話を聞いて面白かったなあ。春になったら空き家で妄想を繰り広げるまちあるきをしようということになりました。
そのほかリノベシーンのキーになるみなさんにお話を伺いました。倉石さんを含めて6軒、6人。順次更新されていくようです。
  
その取材・執筆の間、情報や記憶が洪水のように流れ込んできました。2003年、前職で雑誌KURAに携わるようになって「街がよみがえる」という連載を概ね担当し、その頃からではありますが、長野市街地の改修の姿は見続けてきたと思っています。
女性の建築士さんたちのチームが空き店舗をなんとかしたいと動いていた姿、駅前でいくつものチャレンジショップが運営されていた頃、自分たちで旧宝石店の空きビルをなんとかしようと動いたリプロ表参道、ぱてぃお大門蔵楽庭の蔵の曳家の様子を毎日見に行ったり。そういえば、入社直後、はじめての仕事は改修前のぱてぃおの蔵で開いたおやき博物館(県内各地のおやきを販売するお店)のために、雑誌の梱包紙で持ち帰り用の袋を作ったことだったなあ…。
 
ネタがないときはふらふらとまちを徘徊しては、ここも、ここも、空き家…と写真を撮って回ったりしたことも。会社が東町に移転したときは、あの通りにこんなに店が開くなんて、あんなに人通りが生まれるなんて、想像できなかった。
しばらくすると仕事が忙しくなって、まちに出ることが激減してしまったけれど思い切って会社を辞めた頃、現在の豆蔵や花蔵を信州大学の学生さんたちが借り受けて何かしたいという相談に乗ったり。24時間暇だったので、彼らに「寒いから豚汁つくってきてください」といわれて手づから改修する蔵の現場に差し入れたり。しばらくしたらカネマツがはじまって、まちはどんどん動いていって。そして今は、上松の古民家。人の人生を追いながら、自分の社会人生活の15年分をも振り返った、そんな取材と執筆の時間でした。
 
今回の取材では、都市計画道路の計画地にかぶってしまい、一部解体工事中の風の公園も取材させていただきました。どうなるかわからない状況で、宮下さんや鶴田さんも取材について少し躊躇されていましたが、このとき・この状況を残していくことで何かつながることがあると思い、無理をお願いしました。

原稿の校正を送った宮下さんから、「自分たちの活動を振り返ることができてよかった」とメッセージをいただいて、取材できてよかったなと思っていた頃、金子万平先生の訃報が届きました。近年の著作ももちろん興味深いですが、金子先生が70年代・80年代に書かれた「信州そばのはなし」「おやき・焼餅のはなし」(銀河書房)なんかは、今読んでもとても勉強になるし、今みてもとても美しい。丁寧な取材のもと、さすがの多岐にわたる深い知識を携えて書かれているだろうことがうかがえるもの。
  
いつになく原稿書きの仕事が多くて、年末あたりから「こんなに原稿かけない…」とくったりしていましたが、人はいつかは死んでしまう。その時々を真摯に書き記すことの大切さを思う年度末です。(緒)